こんにちは!
心理カウンセラーのリエコです。
6月末に仲良しの職場友人が退職しました。
最終勤務日は「今日が最後なんて実感がわかないね」なんて話しながら、いつものようにゴハンを食べて、お茶しておしゃべりして、「これからもよろしく!」といってお別れしました。
業務はまったく違うけど自然に仲良くなって、プライベートでもよく一緒に過ごした友人です。
あっという間に感じるけど、出会って10年。
仕事でどんなにクタクタな時も、廊下でばったり会うとなんだか楽しくなって疲れが飛んでいくので、お互いをオアシスと呼び合ったりしていました。
お別れがとても寂しいです。
でも、新しいスタートを心から応援しています。
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話は変わって、今週の英語レッスンにて。
出席者が私ひとりだったので、先生が「フリートークにしましょうか」といってくれて、最近のトピックとして私は彼女の話をしました。
そういうタイミングなのかな、さみしいです。
でも応援の気持ちで送り出したいです。
そんな話を、つたない英語でぽつぽつと。
先日の授業に続きフリートークのテーマが「お別れ」になっちゃったなぁ。
すると先生はこんな話をしてくれました。
もしかしたら、お互いの役割が終わったのかもしれませんね。
でも、ご縁がある方とはまたつながりますよ。
新しい何かが始まるタイミングなのかもしれませんね!
そうかもしれないな・・と思いつつ、「お互いの役割が終わった」という言葉に胸がチクッとしました。
「関係性の終わり」とか「これでお別れ」みたいなニュアンスを感じたからです。
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親しい人が亡くなったり自分から離れていくことについて、以前の私はただただ「さみしさ」を感じていました。
そこには、慕っている人に心の距離を詰めがちだった私や、無力感や無価値観で自分を責めがちだった私がいて、思い返すとホラーなのですが。
でも、この数ヶ月におきたいろんな「お別れ」を、時間の流れの中でゆっくりと受け止めてきた今、私の中にはこれまでにない感慨があるなぁと気づきました。
それは、自分が相手を想うことで「つながり」を感じられるようになったことです。
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亡くなった方とはもう会えません。
でも、教えてもらったことも、いただいた思いやりも、楽しいやりとりも、感謝の気持ちも、私の心の中にはまだしっかりと存在していて、それは私の一方的な想いなんだけど、それがある限りその方との「つながり」が感じられて、あたたかい気持ちになるのです。
転職した友人は、日常的に会えない人になって、このまま疎遠になってしまうかもしれません。
でも、親しく感じているその人が、今日もどこかで頑張っていると感じるだけで、それは私の一方的な想いなんだけど、彼女への「つながり」を感じて癒されるのです。
そこにはさみしい気持ちはぜんぜんなくて、むしろ心があたたかくて、だから「お別れ」だけど「終わり」じゃないというか。
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相手の意志や気持ちはわからないことだけど、私の一方的な想いだけだとしても、自分が相手に「つながり」を感じたなら、それは私の中に「ある」ってことですよね。
いろんな流れで心がすれ違ってしまい、胸がチクっとする人も。
その方からいただいたもの、楽しかった時間、感謝の気持ちが私の中にあるなら、相手が求めていなくても、勝手に「つながり」を感じてていいんじゃないかな。
もしご縁があったらまた出会うだろうし、出会わなくても勝手に「つながり」を感じてあったかい気持ちを感じていようと思ったのでした。
それに、もし「お役目が終わった」のだとしたら、もう十分に恩恵をもらったということだから、お別れはさみしいけど、感謝しかありません。
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そんなことを思ってブログを綴っていたら突然LINEが届いて、
仕事のあと退職した友人と久しぶりに会うことになりました。
久しぶりに、いつものお店で新しい職場の話をいろいろ聞かせてもらおうと思います。
心理カウンセラー リエコ