心の反応を受け入れよう、と思った話。

ココロのこと

こんにちは!
心理カウンセラーのリエコです。

根本師匠の「自分との対話講座」を受講して、心の世界にますます興味深々な私です。

私はこれまでの人生で感情に翻弄されることがよくあったので、心の世界ってなんだか掴みどころのないものだと感じてたんですね。

心の世界は広くて深いので、まだまだ掴めたなんて言えないけど、今回の学びで自分なりの理解が深まって、カオスからは抜け出せた感じがしています。

とはいえ、その後も「心の本音」に気づけずぐるぐる‥なんてことはあるのですけれど。。

でも、その都度「私の本音はどこにあるのかな」と探っていくようになりました。そうすると「あぁそうか」というところに辿り着けたりして。
もしかしたらその奥にも「本音の本音」があるのかもしれないけど、まずは一歩前進です。

今日は、心の世界を学んで得られた「もう1つの恩恵」について書いてみたいと思います。
「感情に翻弄されまい」と固く力んでいた部分を少しだけ緩められたお話しです。

私には無意識の心のクセがありまして(感情と向き合う場面で、無意識に心に蓋をしてしまう癖です)。

例えば「心の学びの場」で、周りの仲間たちが感情を大きく揺らす場面でも、自分ひとりが凪のようになってしまう時があるんです。

そういう時、私はいつも「あ、どうしよ・・」と慌ててしまいます。

仲間たちが感情をMAXにして盛り上がる中、自分だけ「無の状態」になっている、その違和感&疎外感たるや。。

「私どうしちゃったんだろ」と焦るし、どうしたらいいのかわからなくて混乱するし、そこから私ひとりが思考MAXに陥るわけです。

人は「思考」と「感情&感覚」を同時に働かせることができないから、焦れば焦るほど、私の中には思考のスパイラルが渦を巻いて膨らんでいきます。

でも、先日の講座で「心の性質」を学んで思ったんです。

そもそも人の感情があいまいで矛盾だらけなら、自分と他人の感情を比べる意味ってそもそもないし、何かを見て感じるその反応だって違って当然だよね、と。

私がそうなるのにはそうなる理由があって、「感情がどこかにいっちゃう」のが私の自然な反応なら、もう受け入れるしかないよね・・と、腹がくくれたのでした。

この反応は、今の自分の状態を教えてくれているだけなのです。

むしろ、もしもそれが「痛みから自分を守るための反応」なのだとしたら、愛おしい性質じゃないですか。

これまでずっと忌み嫌っていたこの性質を「愛おしい」と感じられる日がくるなんて、私にとってちょっとした革命です。

この反応は、「その感情を感じたらダメージが大きいよ」ということを先回りして私に教えてくれるものなんですよね。だから感じないように蓋をしてしまうのだと思います。

これまでは心が凪になるたびに「どうにかしなきゃ」と焦ってたけど、慌てないで、自分の中に何が起きているのかをゆっくり理解してあげたいなと思いました。

2月には根本師匠のライフワークセミナーがあるので、また「感情の扉」の様子をみにいってこようと思っています。

自分とのお付き合いは一生ものですもんね。
ゆったりと構えて自分の心と向き合っていきたいです。

 

心理カウンセラー リエコ

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