「罪悪感」は、悪いと思っていなくても抱えてしまうもの。

ココロのこと

こんにちは!
心理カウンセラーのリエコです。

今日は、私がずっと探していた答えが見つかった話。
罪悪感の大元に気づいた顛末を書いていきたいと思います。

それは、Facebookで見つけたとてもシンプルな言葉がきっかけでした。
カウンセラー仲間のミナトさんの投稿です。

例えば怒ることへの【罪悪感】があるなら
過去に怒る人によって傷ついた痛みがある。
罪悪感を何とかしようとする前にそこで傷ついた自分を助けることだ

私にも「罪悪感」があるんだろうなとずっと思っていました。
しかもすごく大きな。

・うまくいかないことがあると「自分が悪い」と思う
・なにかと自分を責めたり「ダメ出し」する
・役割を果たすべく、無理して頑張りすぎる
・ゴメンネが口癖
・怒るのが下手(すねる、逆切れも‥)

これだけあれば、絶対にあるでしょう?
でも、その大元がずっとわからなくて。

カウンセリングで「罪悪感」を指摘されたこともあったけど、自分が何に対して「ゴメンナサイ」と思っているのかがいまいちピンときていなかったのです。

でもこのシンプルな投稿を読んで、突然思い出したことがありました。

それは、
「私、過去に怒りにさらされてたわ」ということ。
「怒る人によって傷ついた痛みがある」ということ。

私には癇癪持ちの父がいて。
怒り方が尋常じゃないのです。

父なりの理由があってキレるのでしょうけど、
そこまで怒ることなのか、子供の私には理解できないことがよくありました。

だから怒られている時は「理不尽さ」でいっぱい。
でも、言い返したら父の怒りを大きくします。

もう浴びるしかない。
嵐が去るのを待つしかないのです。

一方的に怒りをぶつけられる子供時代の経験は、「自分は怒りをぶつけられるポジションである」ということを自分に植え付けます。

自分に「私が悪い」という意識がなくても、それが「罪悪感を背負う材料」となり得るのです。

書いていてすごく当たり前だなと思ったけど、何年も探していた答えが見つかった感じがしてスッとしたのでした。

自分が感情をぶつけられるポジションであること。

それは、私にとって「普通のこと」だし、むしろ「馴染みのあること」でした。だから自ら無意識にそういうポジションをとっていたのかもしれないな。思い返せば、過去にとばっちりを受けるようなことも多かった気がします。

無意識のサガ、怖ろしいですね。。

大元に気づいたら、自分の中にぼんやり存在していた「罪悪感」がすごく存在感を増してきた気がする。。そして「あなたこんなの背負ってますよ!」と念押しされている感じがしてきます。ひー!

罪悪感は、自分を幸せにしないように自分を導きます。
無意識に「自分は罰せられる存在である」という感覚があるからです。

そして、エゴの声なんかを使って自分が成功や幸せに向かうのを阻んでいきます。自分自身の手で。

あぁ、体調悪くても出勤してしまう我が身にしみます。。

怒ってない時の父は真面目で優しくて「いいひと」です。

だから、どんなに理不尽な想いに涙しても、嫌いはなれませんでした。
怖くて震えながらも父の怒りパワーを受け止めたのは、子供なりの愛し方だったのかもしれないと、今は思います。

心理学を学んで、大人の愛し方(受け止め方)ができるようになって。
そうしたら、私は落ち着いて父の激情を受け止められるようになったし、父も落ち着いてきた気がします。

大人の愛し方とは?
怒りの奥にある感情をみていくこと。そして、癇癪は「わかってほしい」という気持ちのあらわれだと理解することです。

その経験はライフワークにつながって、今では心理カウンセラーとして誰かの感情に寄り添うことをしています。

怒りをぶつけられる過去なんて欲しくなかったし、罪悪感だって欲しくないけど、その裏側で私の才能が育まれていたなら、過去も受け入れられるかな。。

「罪悪感を何とかしようとする前にそこで傷ついた自分を助けることだ」

投稿の引用です。
本当にそうですね。。

傷ついた自分に寄り添って、痛みを癒して。
そのポジションから降りていいんだよ、と自分を許していきたいです。

 

心理カウンセラー リエコ

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