心理カウンセラーのリエコです。
先日の記事に、「感謝ワークとは、ネガティブの中にあるポジティブを見るレッスンである」と書きました。
その「ポジティブを見る」というワードに私自身がとても反応してしまい‥
モヤモヤを掘り下げたら、「ポジティブシンキング」が苦しみとつながっていた過去をみつけてしまったので、今日はそんな話を書いてみたいと思います。
みなさんは、「ポジティブシンキング」に必要不可欠な要素って、何だと思いますか?
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「ポジティブシンキング」とは、物事を前向きに捉える考え方をいい、現実を良い方向に運ぶパワーがあると言われています。
一方で、デメリットもあります。
楽観的になりすぎちゃうことです。
物事の「ポジティブな側面」だけを見て「ネガティブな側面」から目を逸らすことで、必要な対策がとれなかったり、想定できたはずのリスクを回避できなかったり、現実逃避的な自己満足に陥ってしまったり。。
私も知らずにやっていた時代がありました。
感情に蓋をして「感じない」ことで、ポジティブで元気いっぱいに社会を生きていたんです。
当時の私は心がとても繊細だったので、ネガティブを感じるとすごく気持ちが揺らいでしまって、いちいち感じてたら社会生活がとってもキツかったんですね。
だから「感じること」をスルーするして、モラハラ上司の言葉をなかったことにしたり、クタクタな体を二の次にして、目の前のタスクをこなしていました。
そうすることで、いつもポジティブで楽しく過ごせたし、仕事の評価も高くなってやりがいを感じられました。
でも、スルーすることで対策がとれなかったんです。
・休息をとって体をケアすること。
・心を癒して健全であること。
・できないことに「無理です」「助けて」を言うこと。
そんな私なので、ポジハラもやっていました(冷や汗)。
ポジハラとは、ポジティブハラスメントの略。
自分にしているように、人に対してもポジティブを押し付けることです。あの時はごめんねー!!
そんなこんなで、「ポジティブを見る」と言う言葉にポジティブシンキングを連想し、自分を二の次にしてニコニコしている自分の姿がふと浮かんで、痛い気持ちになっちゃったのだと思います。
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一方で、楽観的になれないことで苦しんだ経験もあります。
少し前に、コロナ後遺症の倦怠感に悩まされていた時の私がそれです。
しんどいことを「なかったこと」にしようにも、体がぜんぜん動かなくて、本当に辛かったです。
いつまでこんな状態が続くんだろう。
なんにもできない、前に進めない。
ずっとこのままだったらどうしよう。
当時の私は、不安と怖れの感情にのまれてネガティブの塊。
「ネガティブ」沼にどっぷりと浸かって「ポジティブ」になんてぜんぜんなれなかったな。
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私たち人間は、「ネガティブ」がデフォルト設定になっているのだそうです。「不安」や「怖れ」がアラートになって命を守っている側面があるからです。
だから、「ネガティブ」な状態からいきなり「ポジティブ」になろうとするのは人間の生存本能に逆らうことなんですね。
では、ネガティブ沼から「ポジティブ」に向かうためにはどうしたらよいのか?
過去の自分に言ってあげるとしたら、まずは心に蓋をせずネガティブを感じること、落ち着いたら不安や怖れの感情を入れずにその状況を俯瞰的に見ていくことかなと思います。
それができると、「ネガティブな中にポジティブをみつける作業」に進みやすくなると思うから。
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楽観的になりすぎちゃうこと、楽観的になれないこと。
どちらも経験した今思うのは、ポジティブシンキングは「現状を受け入れていることで、初めてその意味を成す」ということです。
現状の自分を受け入れられていない状態で、いくらポジティブに目を向けても、土台がぐらぐらしてポジティブを維持できないと思うからです。
例えば、心身が疲弊しているのに心をポジティブに向けてGO!GO!って進んでも、それっていつまでも続きません。
ネガティブを嫌わず、そんな自分を受け入れること。
現状を受け入れ、その自分を肯定して、そこからポジティブに捉えなおしていくのが「ポジティブシンキング」のコツなんじゃないかと私は考えます。
でも、問題のぐるぐるの中にいるとそれが難しいんですよね。
そんなときには、ぜひカウンセラーのサポートに頼ってみてください。
それが、そこから抜け出すいちばんの近道だから。
心理カウンセラー リエコ