心理カウンセラーのリエコです。
金曜日の仕事帰り。
友人と一緒にお腹いっぱいゴハンを食べたあと、コーヒー屋さんに寄りました。レジ脇には美しいスイーツが並んでいて、ついつい目を奪われます。
「ちょっとだけ食べちゃう?」
友人と一瞬だけ考えて・・やめました。
食べたら「食べ過ぎた」ってなるのがわかってるから。
でも食べたいんだよなぁ!
そんな風になっちゃうこと、ありませんか?
私はけっこうあるあるです。
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「お腹いっぱい」
「美味しそう、食べたい!」
この相矛盾する2つはどちらも私の素直な気持ちです。
心の声っていろんなことを言いますね。
矛盾してるけどどちらも本当だし、そもそも正解はないんだけど、でもお支払いもしなきゃいけないし、答えを1つに絞りたい。
本当の本当はどっちなの??
そんな時、私が耳を傾けるのは「感覚の声」です。
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私たちは、「感情」を感じるほんの少し前に、何かしらの「感覚」を感じています。その「感覚」に「思考」がくっついたものが、「感情」です。
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| 思考「食べすぎだぞ」「いやいや、今日のご褒美に」
| ↓
↓ 感情「食べたいなぁ!」
なので、単純にいうと「心の深いところにあるものほど、本音に近い」ということになります。
五感はそれぞれに感覚を働かせるし、そこに「どんな思考がくっつくか」で感情も変わるわけですから、私たちの本音は1つじゃないし、コロコロ変わるし、矛盾だらけ。
でも、より深いところ(感覚)の声を拾ってあげることが、本音に従っている実感をより強く得られるというわけです。
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ちなみに。
もしも感覚(体の声)を自覚できていても、それでも食べたくなっちゃう場合。食べることを抑えられない場合。
もしかしたら、食べることで「満たされる」その気持ちを求めてるのかもしれません。
そんな時は「私は何を満たしたいんだろう」って自分の心と会話してみるといいと思います。意識に上がらない心の声を拾ってあげられるといいですね。
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さて。
「あずきバー」をかじりながらこのコラムを書いている私。
書きながら我に返り、パソコンを打つ手を一瞬止めて、自分の「感覚の声」に耳を澄ませました。
そして残り2口を器にのせ、そっと冷凍庫に戻しました。
ささやかすぎる自分への寄り添い。。
「えー、2口くらい食べちゃっても変わらないって!」
まあね、まあね。思考はそう思いますよね。
でも、このコラムを書きながら「自分の感覚(体の声)」をたくさんスルーしている日常に改めて気づかされ、
こんな小さなことだけど「自分の感覚」に従うことができたことに、喜びと満足感でいっぱいです。
こういう1つ1つの選択が「丁寧な暮らし」につながっていくのかも。
これを読んでいるみなさんの今日も、より心地よくありますように!
心理カウンセラー リエコ