引きこもり。第2の人生を、私はいかに生きるべきか?【ココロノマルシェ】

カウンセリング(マルシェ)

「大切な人に寄り添い、その流れの中で自分を生かす」生き方から、「私はこんなふうに生きたい、と自分軸で人生をクリエイトする」生き方へ。

「自分のための第二の人生を自分軸で掴みにいこう!」というご提案と、そのヒントを書いてみました。

心理カウンセラーのリエコです。

今日は「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談に回答します。
ココロノマルシェとは|根本裕幸カウンセラーのお弟子たちが回答する無料のお悩み掲示板です。

引きこもりになってしまいました。

久しぶりに根本さんのブログをみて、よし思い切って相談してみようと思い立ちました。

実家は代々続く田舎の神社で、先代宮司の父は多趣味で外では活躍していたものの家では朝から酒を飲んでは家族を怒鳴り散らし、母はおしゃれ好きなもののヒステリックでわがままで、両親ともにとっても見栄っ張り。長男の兄は自閉症気味で青年期に精神疾患を患い入院していたこともありました。姉はそんな家に嫌気をさして実家には寄り付かずさっさと結婚し長く海外で暮らしていました。私は、家族特に兄や姉とどう接していいのかわからず、母にべったり、学校ではなかなか友達ができず、中学2年の時にはいじめにも会いましたが勉強は好きだったので頑張って地元の医学部に行って医者になりました。

ところが、小学校時代から全然友達ができなかったのですから当然ですが、大学生活に全然なじめず、すっかりやる気をなくしてしまいました。それでもなんとか卒業し医師国家試験に合格して無事医師となることができました。

研修医として働き始めたものの、人と接するのが苦手なもので、周囲の医師や看護師、患者さんやその家族、製薬会社の方など、他人とコミュニケーションをとることができず大変苦労しました。医師としての研修どころではなく、ただただ苦しくて、コミュニケーションや対人関係についてばかり勉強していました。要するに、医師としての適性に欠けていた
、ということですね。そこで進路変更を考えるべきだったのですが、、、両親は私が医師となったことを大変喜び、ことあるごとに周囲に自慢していました。そんな両親の期待を背負ってしまうと、医療現場に適応できずどんなに辛い思いをしていても、自閉症気味の兄が神職として全然うまくふるまえていないのをしり目に両親の前では医師として頑張っているふりをするしかありませんでした。

なかなかなじめず2~3年で病院をクビになり職場を転々とする日々。でも医師の高給を両親は大変喜び、私の給料は両親にとってまさしくおこずかい状態。食事代や衣類、ブランド品、実家のリフォーム代までいっぱい貢ぎました。休みごとに実家に帰っては炊事や掃除など家のことを手伝わされました。
11年前、父が急死し兄が神社の後を継いで宮司となりました。その頃より母が認知症となり、その介護を結局兄一人に押し付けてしまいました。姉が外国から帰国して神職の資格を取り実家の神社を手伝い兄と姉で神社を切り盛りしていました。その姉の紹介で私は見合い結婚をし地元へ帰ってきて今は夫の両親と同居しています。子供はいません。7年前に認知症の母を主治医として自分で看取り、その後姉が乳がんで亡くなり、身内は兄と私だけになってしまいました。一方で職場とけんかしては辞職を繰り返しており結局、外科も内科も、外来も病棟も訪問診療も健診も、25年医者をやったけど何もできず何も残らず、専門医も取れず最後は完全に燃え尽きて仕事を辞めました。

もう仕事なんかしたくない。働きに出たくない。家にいたい。人に接するのはもう嫌だ。完全な引きこもりです。
で、株式投資をはじめました。株で何とか収入を得ようとしたのです。
ところが、株を始めて2年程になりますが全く勝てない。資金を失う一方です。でも、株を勉強する気にもならず、私には株で稼ぐ力がないようです。

その一方で、還暦を過ぎて独身一人暮らし、自閉症気味の兄が氏子さんから信頼され尊敬される宮司となるよう、妹の私がサポートに回ろうと決意しました。亡くなった姉は神職として兄を手伝いましたが、私は神社の仕事には一切関与せず徹底して兄の衣食住の生活面をサポートしていくこととしました。毎日、朝は夫の弁当作り、夕方に実家で食事の支度とひたすら料理を作っております。休日は庭の草むしり。おかげで料理はメキメキ上達し実家の庭は立派な日本庭園となりました。

医者をやめて引きこもりになって、実家に身を寄せて料理を作り続けて、広大な実家の庭の手入れをし、さて第二の人生をどうしたらいいものか、、、現状では収入がなく貯蓄を切り崩して切り詰めて生活しています。経済的な不安が付きません。夫も、結婚当初との経済的落差に失望の色を隠しません。私はお金のことなど一切気にすることなく好きなことをやりたい。まあ今はそれが料理ですけど。
医師時代は周囲にお金のことで依存され通しでした。それだけ収入もありましたし。結婚当初も夫は食べ歩きや温泉など豪遊して大変喜んでおりました。しかし無職無収入となった今は、経済的な包容力のある男性を好きになってみたいとも思ってしまうのです。一時の気の迷いかもしれません。真面目にサラリーマンやっている夫と年金暮らしの義両親に申し訳ないと思いながら。

結論。第2の人生、私はいかに生きるべきでしょうか。まあ、なるようにしかならないんですけど。助言の程よろしくお願いいたします。長文すいませんでした。

せいこさん(ご相談リンクはこちらです)

せいこさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

ご相談文を読んでいると、その表現力に文章力もあいまって、まるで小説を読んでいるような気持ちになりました。

まさに、半生を描いた小説のようなご相談文ですね!
わかりやすくまとめてくださり、ありがとうございます。

現在は生活が比較的落ち着いていらして、経済的な不安はあるけれど切羽詰まった状態まではいかないご様子。これからの生き方を探るせいこさんには「第二の人生を楽しみたい」という光のようなものを感じます。

>第2の人生、私はいかに生きるべきでしょうか。まあ、なるようにしかならないんですけど。

これまでご家族や周りの方を支え、たくさん与えてこられたのですから、第2の人生は是非とも「自分が喜ぶ人生」を送っていただきたいなと、私は思います。

せいこさんの中にもそんなお気持ちがあるのではないでしょうか?

でも、
それがどんな生き方なのかが掴めない。
自分が満足できるのはどんな人生なんだろう。
自分の望みをどうやって叶えていけばいいのだろう。

せいこさんが今回ご相談くださったのは、そこのところがモヤモヤされているからではないかなと感じたのですが、いかがでしょうか?

ご相談文の中には、「家族が喜ぶこと」や「必要な助け」を察して、与えることをしてきたせいこさんの姿がたくさん描かれています。

そのくらい、せいこさんにとって「家族」は大切な存在であり、「与えること」はせいこさんにとっての”家族の愛し方”だったのではないかと思います。

また、「家族」はせいこさんにとって、外側の世界にはない「安全」を感じられる場所だったのかもしれません。

だから、家族の中にご自分の役割を見つけて、家族の「平和」をずっと支えてこられたのではないかなと思いました。

ご家族が亡くなることは悲しく残念なことですが、今やっとせいこさんのお役目が落ち着いて、後回しになっていた自分自身に目を向ける余裕ができたのかもしれません。

>第2の人生、私はいかに生きるべきでしょうか。まあ、なるようにしかならないんですけど。

この言葉には、せいこさんの生き方が表れているように感じました。
それは、「大切な人に寄り添い、その流れの中で自分を生かす生き方」です。

 

でも、せいこさんの中には新しいマインドが生まれつつあるようです。

>私はお金のことなど一切気にすることなく好きなことをやりたい。

>しかし無職無収入となった今は、経済的な包容力のある男性を好きになってみたいとも思ってしまうのです。

せいこさんの中から生まれた「望み」です。
大切にしていきたいですね。

でも「誰かに寄り添い、その流れの中で自分を生かす」生き方の中では、自分の人生を謳歌していくのは難しいように思います。

では、せいこさんが自分らしく楽しむ「第二の人生」と出会うためには、どんなことが必要になるのでしょう?

結論を言うと、「なるようにしかならない」ではなく、「私はこんなふうに生きたい」と自分軸で人生をクリエイトしていくことだと、私は思います。

新しい「第二の人生」がよりせいこさんらしい楽しいものになりますよう、リエコからの提案を書いていきたいと思います。

 

◆「自分に与える」意識を持ってみる

これまで「家族が喜ぶこと」や「必要な助け」を察して、与えることをしてきたせいこさんですが、家族に注いできたその「与えるエネルギー」を、こんどは自分に注いでいきます。

心理学に「まずは、自分」という言葉があります。

まずは自分を満たすことで、身近な人に余裕をもって接することができたり、  十分に与えることができたりして、結果的に周りを幸せにすることができる、という考え方です。

「まずは、自分」とだけ聞くと、なんとなく自己中心的な感じもしますが、

自分が満たされていない状態で与えることは「犠牲」であり、犠牲して与えてもらったものを受け取る側からすると、恩恵とともに「心苦しさ」も一緒に受け取ることになる・・

そう考えていくと、「まずは自分を幸せにすること」がお互いにとっていちばんよいカタチということになりそうです。

せいこさんは、これまで周りの方にたくさん与えてきました。

なので、こんどは「自分にも与えること」「周りから受け取ること」を意識していくと、「自分」も「周り」も幸せになる循環を作りやすいのではないかと思いました。

 

◆自分の中に、安全な世界をもつ。

ご家族と過ごしている時に感じる「安全な世界」を、自分の心の中に作っていきます。

いつも「いちばんの味方」でいてくれる親友を自分の中に育てるイメージです。

外側の世界でどんなことがあっても、いちばんの理解者が心の中で支えてくれたら心強くいられるし、その自分がせいこさんの「なりたいビジョン」を見つけたり実現するためのアシストをしてくれるでしょう。

それは、「自分をよく知ること」から始まります。

誰かとコミュニケーションして、相手の魅力をたくさん知り、短所を許して、だんだんと心の距離が近くなるように、

自分のことをよく知り、自分の才能や「これまでの頑張り」をたたえ、短所を責めずに受け入れていく作業をしていきます。

★自分の好きな事・嫌いな事
★自分の長所・短所
★これまでの人生で頑張ったこと
★これまでの人生で成し遂げてきたこと

例えば、好きな事が「料理」だったとして、
料理をするときにモチベーションになっているのは「作ること」が楽しいのか?「誰かに喜んでもらうこと」が嬉しいのか?
そんな会話を自分と重ね、たくさん自分のことを知っていきます。

自分とつながると、自分の「望み」もキャッチしやすくなり、楽しい世界をますます広げていくこともできます。

心理学には「投影」という言葉があります。
「外側の世界は、心の内側の状態を映し出している」という考え方です。

そのセオリーでいうと、自分の心とつながることで、外側にも「つながり」を作りやすくなります。

引きこもってるけど、せいこさんは人が大好きなのだと思います。

>医師としての研修どころではなく、ただただ苦しくて、コミュニケーションや対人関係についてばかり勉強していました。

「人とつながること」に興味がない人は、コミュニケーションにエネルギーを注ぎません。

まずは自分とつながって、「第2の人生」の舞台を広げていけたらいいですね。

 

❸ビジョンを言語化する

もしも何も制限がなかったら、せいこさんは何をしたいですか?

「家族」や「家業」や「お金の心配」がなく、「人間関係」や「役割」も「誰かへの気遣い」も必要なかったら、どんな風に生きたいでしょうか?

制限がなかったら‥といっても、大きな事じゃなくて構いません。
「やってみたい!」と感じることがあれば、それらをできるだけ具体的に言語化していきます。

そして、できる範囲で叶えていきます。

例えば。せいこさんの望みの1つである
>しかし無職無収入となった今は、経済的な包容力のある男性を好きになってみたいとも思ってしまうのです。

このように、現状すぐに取り掛かれそうにない望みは、「今できる範囲で」楽しめる方法を探していきます。
自分がどんな恋をしたいのかを韓流ドラマを見ながら探してみる‥とか。

個人的には、ブログにチャレンジされるのはどうかなと思います。
お料理のこと、お庭の手入れのこと、などなどせいこさんの日常をブログに綴っていくのです。
自分探しのツールにもなりますし、なによりせいこさんの書かれる文章はきっと面白いだろうな!
外の世界とつながるリハビリとしても、よいツールになるのではないかと思いました。

何が自分にフィットするかは、やってみないとわかりませんから、興味のあることにはどんどん近づき、違ったら即チェンジです。

少しづつ、自分の「好き」が広がって、せいこさんの世界が楽しくなるといいなと思います。

 

以上、「自分のための第二の人生を、自分軸で掴みに行こうよ!」というご提案でした。

これらはせいこさんのこれまでの生き方とは違った概念であり、簡単じゃない部分もキレイゴトのような部分もありますが、方向性として捉えていただき、もしもピンとくることがあれば是非取り入れてみてください。

自分ひとりでは難しいと感じられた際は、カウンセラーにサポートしてもらうこともおすすめです。

せいこさんの「第2の人生」が豊かな時間になりますよう、応援してます!

 

心理カウンセラー リエコ

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